2人目がほしいけど、義兄が筋強直性ジストロフィーを発症しました。発症前遺伝子検査や遺伝カウンセリング、治療・リハビリについてレポートします。

筋強直性ジストロフィーの家族計画・介護計画

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お義父さんが肺炎で亡くなりました。

投稿日:2017年3月28日 更新日:

お義母さんから、お義父さんが肺炎にかかり日立総合病院へ救急搬送されたと連絡がありました。血液透析ができるようになって元気になりつつあり、食事もとれるようになり、一時は帰宅して自宅介護の選択肢も出ていたのに。最終的に元いたクリニックへ戻り、緩和ケアを受けてすぐのことでした。私たちは間に合いませんでした。夫は死に目に会えませんでした。先日お義兄さんの診察に同席するため帰省した際、お義父さんのお見舞いに行ったのが最後になってしまいました。私のお義父さんへの最後の言葉は「お義父さん、また来ますね!」でした。後悔しています。

肺炎にかかり救急搬送されるが・・

お義父さんが肺炎にかかり救急搬送されました。そこでの治療としては、人工呼吸器をつける、ということだったようなのですが、お義父さんのかねてからの強い希望でそれはせず、抗生剤のみで回復を見守ることになりました。ということで、搬送先の病院から元いたクリニックへ戻りました。その際、この2~3日かも、とお義母さんから伝えられました。そういわれても実感がわかず、帰る算段をしながら荷物の準備をし、回復を祈っていました。

 

夜通し介護が続く

何とか峠は越したようだったのですが、大変なのはお義父さんだけでなくお義母さんもでした。

肺炎のせいか横になると苦しいそうで、お義父さんは夜中もずっと起き上がっていなければならなかったのです。ベッドを起こして背もたれにもできたのですが、それでは「違う」そうで・・・。なので苦しくない体制で起き上がっていると、ウトウトしたときに自分の体を支えきれずにひっくり返ってしまうのです。お義母さんはそんなお義父さんを支え、一晩中背中をさすり続けていました。それじゃあお義母さんがもたないからほかに人を頼むようにいっても、他人ではお義父さんが細かいことを頼めずかわいそうだから、と自分一人でやり続けました。お義父さんだけでなく、お義母さんもずっと寝ていませんでした。

 

緩和ケアを受けてすぐ、悲しい電話が・・

お義父さんの希望で緩和ケアを受けることになりました。2~3日と言われた危険な時期を乗り越えていたので、痛みが取れて眠れるようになって、もしかしたら元気になって結果延命になるかもしれないよ、なんて希望を持っていた私たちだったのですが、早朝、夫の携帯の着信音を聞いて飛び起きることになってしまいました。緩和ケアを受ける、と聞いた次の日の朝のことでした。信じられませんでした。

 

動揺しながら帰省

とりあえず夫はいったん出社し、会社への報告と仕事の段取りをつけ帰宅することになりました。子どもはいつも通り保育園へ預け、私は長期帰省の荷物の準備を本格的に始めました。夫が帰ってきたら子どもをピックアップして出発です。前日に子供服をすべて洗濯し干してあったので、良かった・・と思いながら準備しました。きちんとやるべきことをやっていってるつもりだったのですが、昼過ぎに子どもを迎えに行くときになって、食事用スタイ・ガーゼ・マグカップなどをすべて一式、保育園に置いてくるのを忘れていたことに気づきました。ちゃんと準備してあったのに・・・いつものルーティンなのに。自分が動揺していることを認識しました。落ち着こう、と思いました。これからまた長距離を車で移動しなければなりません。夫の方が実父を亡くして動揺しているはずですので、私がしっかりしなければ、こういうときだからより一層事故に気を付けなければ、と気持ちを強く持ち直しました。

 

お義父さんと対面

昼に出発し、夜到着することができました。荷物を降ろし、お義父さんに会いました。この家でお義父さんに会うのは本当に久しぶりです。お義父さん、お疲れさまでした。おかえりなさい、と声をかけました。お義父さんはぐっすりと眠っているようなお顔をしていました。私以外のみんなが泣いていました。できるだけ、悲しみに浸らせてあげたいと思いました。最初にうんと悲しんで、感情を出した方が良いと思ったからです。葬儀は明後日だったため、翌日夫は棺に入れる手紙を書いていました。私は、私の祖母が亡くなったときに、手紙を書いて入れたんです。手紙を書くときすごくいろいろなことが思い出されて悲しかったけど、そこで思いを吐き出したことが結果的にとても良かった、思いを伝えられたと感じた、という話をして、お手紙を書いてお棺に入れることを提案していたからです。

 

家族葬

お義父さんとお義母さんは前もって家族葬をすると決めていて、すでに自分たちで葬儀屋を決めて、遺影の写真などすべて手配を済ませていました。なのでそれほど事務仕事は残っていませんでした。

家族葬ですから、呼ぶ人もいません。それでも、近所の方々が次々に訪れ、辞退してもしても香典を置いていきました。その様子を見ているとなぜだか悲しい気持ちが湧き上がってきて、来てくれた方たちの悲しみが伝染してしまったようでした。と同時に、近所づきあいをちゃんとしていたお義母さんのことを心配してくれている人がこんなにたくさんいる、というのを目の当たりにして、少し安心もしました。

納棺、出棺、火葬

きちんと旅立ちの支度をしてもらい納棺を行いました。大好きだったタバコや、新婚時代の思い出の写真、そして夫の手紙もちゃんとおさめました。最後にはお花をいれました。出棺の際には近所の方々が集まってくださり見送ってくださいました。火葬場につき、いよいよ最後のお別れです。私はこの時が一番悲しくなります。お義父さんに、最後の言葉をかけて、見送りました。その後お食事が出されたのですが、珍しく胃が痛くなっていた私はほとんど食べることができませんでした。

お義父さんの骨はたくさん残っていました。最後の方はガリガリに痩せてしまっていましたが、骨はとても立派でした。骨を拾うときになって「結婚ていうのは相手の親の骨を拾うことなんだなぁ。これが、縁ということか。すごいことだなぁ。」と今更ながら思いました。今まで親せきの葬儀しか経験がなかったので・・・。そして、そういえば、夫に私の祖父の骨を拾ってもらっていたな、と思い出しました。あの時は大好きなおじいちゃんとのお別れで悲しくて涙が止まらなくて、夫の気持ちを考えられませんでした。今の私のような気持ちだったのかもしれません。

 

帰宅

小さくて重い骨壺に入ってお義父さんが帰宅しました。家族葬なので、親せきへの連絡に追われることもなく、挨拶などまわりに気を遣うこともなく、お義父さんの死としっかり向き合うことができたと思います。ちゃんとした旅支度の上で荼毘に付すことができたし、家族葬にしてくれて本当によかったです。

血液透析ができるようになり、あと3年くらいは・・と私は正直思っていました。それがまさかの肺炎で。もしかしたら2~3日・・と言われてから、それからが本当に早かったです。せめて子どもの記憶に残るくらいまでは、本当に、生きていてほしかったです。

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